Lemonade Sandwich

起転転転

くらんちゅの話2

ぴーんぽーんぱーんぽーん。このブログは「概念」の提供でお送りしております。ぴーんぽーんぱーんぽーん。
 
 
 
松倉海斗は世界を救う。知らない間に世界を救う。
 
スーパーヒーローとして地球の安全を脅かす悪の組織と戦うタイプじゃなくて、放り投げた空き缶が公園のゴミ箱に仕掛けられていた爆弾のスイッチをとめるタイプ。しかも本人は空き缶が入ったことに喜んで、ほどけている靴紐に気づかずに転んでる。
 
そばにいる中村海人は指をさして大爆笑。その空き缶は中村海人が飲み終えた缶ジュースで、松倉海斗の上着のポケットにねじ込んだもの。「クラならシュートできるんじゃない?」そう言ったのは中村海人
 
そのジュースを買ったのは松倉海斗。松倉海斗が小銭を入れて光ったボタンを中村海人が押した。「ふざけんなよ~」と言いながら松倉海斗は自分の飲み物を買おうと小銭を入れる。
 
たまたま通りかかった公園に寄ったのは中村海人が言ったから。「高校のときにここに来たことあるよね?」と。その言葉に松倉海斗はポカンとした顔で口を開ける。
 
 
地球を救うきっかけをつくったのは中村海人で、地球を救ったのは松倉海斗。それによって中村海人が救われている。
 
 
 
これが私にとってのくらんちゅ。
 
 
tj-eihire.hatenablog.com



私が勝手に提唱している「くらんちゅ年子の兄弟理論」も「くらんちゅキャラメル理論」も、「くらんちゅ放り投げた空き缶が公園のゴミ箱にしかけられた爆弾をとめる理論」も結局根底にあるものは同じで。
お互いに寄りかかっているように見えない、というか隣に立っているように見えない。でも、実際には足が繋がれていて、クラが飛べばんちゅも飛ぶし、んちゅが引っ張ればクラが転ぶ。同級生という関係性で繋がれた二人は、無関心と関心を気まぐれに行き来し、「適当」というジャブを打ちあっては、意図せず肩をかすめた拳に、二人で笑いあう。
 
 
ちゃかまちゅがメンバーである前に友達だったけど、くらんちゅはメンバーである前に同級生だったんだ。
休み時間にくだらない話をしては笑いあう同級生。んちゅがちょっかいをかけすぎてクラがブチギレてゲーセンから帰った同級生。
 
すべてをかけてステージに立っても、真剣にパフォーマンスに向き合っても、ともに未来を見つめても、息を吐き身体の力を抜けばそこは教室になる。
 
 
くらんちゅのつくる空間が愛おしくてたまらないのは、同級生と話したときの安心感、戻りたくても戻れない懐かしい風景を、二人がすぐに作りだすから。
その空間は、大人になってしまった私が手に入れたくても手に入れられないもの、触れたくても触れられないもの。嫉妬を覚えてしまうほど愛おしい空間を二人は無意識に作り出し、縦横無尽に駆け巡る。
 
 
きっと、くらんちゅの話3で書くだろう。「くらんちゅ、何年経っても同級生のままだわ」「ずっと変わらない」「そこがくらんちゅの最大の魅力だ」って。
 
 
 
それにとってもワクワクする。0から1を作れる松倉海斗と、1を10にでも100にでもできる中村海人。この組み合わせ。